支部長コラム其の6「みんな違っていいんだ!株の面白さは多様性にある!」

なさんこんにちは。全シ連東北支部長の坂本タクマです。

新緑のまぶしい季節になりました。去年の今頃、山奥にあるオオウチ副支部長の家を訪れたのが思い出されます。山道を原チャリで走りながら触れた宮城の大自然の美しさは、脳裏に焼き付いています。ああ、東北でよかった。

今回のコラムは、少々趣を変えまして、坂本の思う「株の面白さ」についてお話します。株の世界を遠巻きに見ていて、「なんであんなことやってんだろう」という方にも、ちょっとはおわかりいただけるんじゃないかと存じます。


 
株の一番面白いところは、「多様性」だと私は思っています。いろんな考えのいろんなタイプの人がいろんな手法で挑戦する。そういう場としての株式市場に魅力を感じているのです。全シ連第35話コラムの第4回でも少し言ったことです。

はじめからそう思っていたわけではありません。自分がなぜこんなにも株にハマるのだろう、と考えたときに、気付いたのです。そういえば、自分の好きなものはみんなそうだな、と。

私は、中学から高校まで、陸上競技をやっていました。陸上部という部活は運動部の中でもちょっと特殊で、短距離走、長距離走、跳躍、投擲という、必要とされる能力や練習方法が全然違う各部門が集まって一つになっています。なんなら男女も一緒だったりします。とても多様な人達の集まりです。私は短距離でしたが、いつまでも走っていられる長距離ランナー達や、器用なフィールド競技の選手達には尊敬の念を持っていました。自分にはとてもまねできない、と。すごくいい経験をしました。今思えば、あれが原点になっているのでしょう。

中学高校時代には、観るスポーツとしてラグビーに熱中しました。体の大きなフォワード陣と、スピードを要求されるバックスが一体となってボールを前に進める様に感動したものです。主に体の小さな選手がやっているスクラムハーフという存在にもシビレました。

大人になってからハマったアメフトは、ラグビーにも増して多様な人材の集まりです。一つのチーム内で、オフェンス、ディフェンス、キッキングと役割がきっちり分かれています。徹底的に分業化されたスペシャリスト集団なのです。ポジションごとに体型や気性もまるで違います。力士のような巨漢もいれば、小さくてすばしっこい人もいます。球技でありながら、ボールに触る役割は一部のポジションに限られ、まったく触らない人も結構います。団体競技ではありますが、ある種陸上部のようでもあります。

ラグビーやアメフトを観ていてよく思うのが、「自分ならどのポジションができるだろう」ということです。なんとなく、自分にも一つくらいできるところがあるんじゃないかと思わせるところがあります。もちろん、実際にはそんなに甘いもんじゃありませんが。

そう、多様性のポイントは、自分にもどこかに居場所があるんじゃないか、と思わせるところです。これだけ多様な人材が求められているのだから、自分にも一つくらい引っかかるところがあるんじゃないか、と。

思い起こせば、幼いころに出会った漫画の世界もそうです。こんなに多様な世界はちょっとありません。かなりの時間と労力をつぎ込んで緻密に描き込まれた作品も、短時間で簡単に描かれた作品も、同じ「漫画」というくくりで一冊の雑誌に載っています。どちらも自分の表現したい内容に必要な絵柄であって、それぞれに成立しています。自分にも居場所がありそうな気がするではありませんか。この多様性がなければ、そもそも私は漫画を志そうなどとは思わなかったでしょう。

多様性ということでもうひとつ強烈に残っているのが、トランプです。大統領じゃなくて、カードのほうです。小学生のときに大ハマリしました。あの頃の同級生の中には、私のことを「休み時間にずっとトランプをしていた人」として記憶している人もいるでしょう。

シュッとまとめれば手のひらに収まる紙の束で、数え切れないほど多種多様なゲームができる。トランプこそは人類史上最強の遊び道具です。当時持っていたトランプの遊び方の本に載っていたゲームは、ほとんど全部やってみました。最終的には最上級とされるコントラクトブリッジにまでいって、そのやり方をみんなに説明するための漫画まで描きました。それでも飽きたらず、自分でもゲームを作って遊びました。あの時期がなかったら、坂本タクマは今の坂本タクマとはまったく違った人間になっていたでしょう。

その後、大学生になったら、周りは麻雀に熱中していました。もちろん私もすぐに覚えてハマりました。ただ、ちょっとがっかりしたこともありました。「あんな大がかりな道具で、麻雀という一つのゲームしかしないとは、何ともったいない!!」と。

後に麻雀漫画を描き始めたときに、そのときの思いをぶつけました。作品の中で、毎回、麻雀に勝手なルールを付け足すということをしたのです。アイディアを出すのが大変でしたが、幼いころにトランプの多様性に触れていたことが役に立ちました。

パチンコにもだいぶ入れあげましたが、10年ほどですっぱりやめました。どんどん新台が出て、そういう意味では大変多様性に富んでいたのですが、それは主に演出面のことで、肝心の玉を増やす仕組みのところについてはびっくりするようなことはほぼなくなっていました。いろいろな制約があって、業界としてもアイディアの出しようがあまりなかったのだと思います。

このような人生を送ってきた私が株に向かうのは、ごく自然な成行きでした。ルールと懐の許す限り何でもできる自由な世界です。秒単位の超短期トレーダーから、経営者と直接話す投資家まで、ありとあらゆるタイプの市場参加者がいます。何千もの銘柄が上場されていて、選択肢は豊富です。どこかに自分にもできる手法が、儲かる銘柄があるんじゃないかと思わせてくれます。

場所にも縛られません。どこかに出掛けていく必要もありません。ネット環境さえあれば、東北の山の中でもできます。出自も学歴も何にも関係ありません。リスクさえ取ることができるのであれば、誰にでも成功のチャンスが与えられています。多くの人が敗れ去っていくという厳しい現実はあるにせよ、挑戦する価値は十分あります。

 
 
多様性の素晴らしさ、重要さは、いくら強調してもしすぎることはありません。けれども、必ずしもみなさんのご賛同をいただけるわけではないようです。例えば、短期筋に対して「いかがなものか」と苦言を呈される方もいらっしゃるでしょう。私からすれば、そういうことをおっしゃることに対して「いかがなものか」と言いたくなるのですが、そういう意見もまた多様性の一部と思って黙っていることにします。ただし、機械の力でゴリゴリ押してくる勢力に対してだけは、私もひとことふたこと言いたくなるのを抑えきれません。なぜなら、そうやって人力の投資家が締め出されでもしたら、それこそ多様性の危機ですから。

自分が今ここにいられるのは、世の中がいろんな人の存在を受け入れてくれているからです。株の漫画を描くという、非常に特殊な隙間産業をやっていられるのもそのおかげです。世の中が、はみ出し者を徹底的に排除するようにできていたならば、みなさんと坂本タクマがこのようにお目にかかることもなかったでしょう。

株式市場だけでなく、多様性に富んだ世界は面白く楽しいものですが、同時に堅牢でもあります。みんなが同じなのは危険です。ほとんどの人が「買いだ買いだ!!」と叫んでいる相場のもろさはご存じでしょう。

「世の中の役に立たないから」とかいうちんけな理由で大学の学部を廃したりするのはやめたほうがいいと思います。今現在役に立つかどうか、という尺度だけで測っていたら、そのうち危うくなるでしょう。物差しはたくさんあったほうが安心です。例えば勇敢な人が偉くて臆病者はダメ人間、というような価値観の危うさに気付いてほしいと思います。すべての人は、長い長い生物進化の末に、そうなっているのです。臆病な人にはそれなりの存在理由があります。世界中の全員が勇敢だったら、人類は崖っぷちです。

 
 
株の面白さをお伝えするはずが、話がそれてきました。

多様性の尊さは、なかなか気付きにくいものです。私自身も、何十年もかかって今のような考えになりました。株を学び、分散投資というものを知ったことが影響しているのかも知れません。

株をやっていない人は株をやっている人を気持ち悪がらないで、株をやっている人はやっている人同士でけなし合わないで、「みんな違ってみんないい」の精神で、懸命の努力でもって多様性を維持していこうではありませんか。

と呼びかけたところで、今回のお話しを終わります。